報道は「綺麗事じゃすまない世界」
そしてもうひとつ重要な論点がある。
マスコミという職業の基本姿勢には、「情報を得るためには手段を選ばないこともある」という点だ。なにしろマスコミという職の根本にあるのは権力の監視。必要なら警察だって動かせる相手にとって都合の悪い情報を得るのが仕事であって、対象は政治家以外にも公的機関や大企業、大手メディア、著名人など力のある者が主体。これを追跡するのは並大抵の労力ではなく、あらゆる手段を行使し、ときに手を泥に染めることもある。
少し前まで、ターゲットの乗用車に発信機を付けたり、ポストの郵便物を抜き取るなど当たり前にあったのは、その愚行をしてでも追跡取材する大儀があったからだ。
しかし、日本ではメディアがやたら「マスゴミ」と嫌われるようになり、取材マナーまでが批判対象になった。記者会見でちょっときつい質問をしただけで槍玉にあげられるわけだが、これは他国と比べても異様な「マスコミ嫌い」といえる。
それはまさに大義を果たせていないからで、大手メディアは記者クラブで情報を操作し、広告代理店と組んで金儲け優先、そのために平気で嘘を垂れ流すようになり、一方で国を売る捏造をやらかすのがいれば、もう一方で政権に擦り寄って甘い汁を吸うようなものばかりになった。反社からネタを仕入れたかどうかについて、重要の論点があるとすれば「たとえ悪党に金を出してでも、その記事に報じる価値があったか」である。
取材手法を問われて委縮するようなメディアなら、それはマスコミの誇りがないからだ。人に嫌われようが批判されようが、大義のためにはどんな手段を使ってもネタを取る、きれいごとじゃ済まない汚れた世界が本来の報道であり、まるで高尚な職でもあるかのような姿を見せたがるのは、それこそ「マスゴミ」。
政権の汚職をつかむためならヤクザに金だって渡す、そして人々のために真実を流す……そうしたマスコミの力をこの騒動でメディア自身が示さないのは何とも情けない限りだ。(片岡亮/NEWSIDER)
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