【闇シリーズ】ニッポン最後の怪人・康芳夫の「暗黒老人日記」その2

【闇シリーズ】ニッポン最後の怪人 康芳夫の「暗黒老人日記」

第二回 麻原彰晃が来た(その2)

私はこうして「麻原の師匠」と呼ばれた

1995年3月×日。
私はテレビであの男を再び見つけた。一連のオウム関係の事件が明るみになった頃だ。
「あぁ、あの男だな」って思ったよ。麻原彰晃が私のところに出入りしていた時代から、既に20年くらいが経過していた。
彼の存在を再確認したのは「坂本弁護士殺人事件」の時だ。確かに、昔の印象は「まぁ、(何かを)しないでもないかな」という男だった。当時から、“雰囲気”はあった。まさか《殺人者》だとまでは思わなかったがね。
地下鉄サリン事件の時は、「宗教的信念に基いているなら、なんでもやるべきだ」と言っていたかつての私の考えとの関連性を多少疑わなかったわけではないが、あそこまでの凶悪事件を起こすとは予想をしていなかった。
「宗教的行為」というものは、いわば《狂気の行為》である。よって、古今の「宗教的事件」には、オウム事件以外にもたくさん存在するわけである。
私は「宗教的信念」とは必ずしも社会規範の範疇にあるものではないと考える。ただ、市民生活間で問題を起こしたのなら、その責任はとらないとならない。
逮捕後のマスコミで、彼を「康芳夫の弟子だ」とする向きもあった。出入りして飯を食っていただけで弟子だとはずいぶん乱暴だが、実際に公安関係から話を聞きたいと言われ、何回か話した。
私はオウム事件の当時『週刊ポスト』によく出ていたのだが、逮捕直後に上九一色村まで行って麻原の等身大人形を叩いて”稀代の怪人 不肖の弟子を叱る”という企画をやっていた。
その時の小学館の社長の相賀昌宏が「康さん、勘弁してください」と泣きついて毒ガスでの報復攻撃を恐れたが、結局記事が出ても信者からの抗議電話の1本もこなかったそうだ。オウムの信者たちも私と麻原の関係は重々承知。私はそれをわかった上で、私なりの《暇潰し》をして遊んでいただけなのである。
ただ、あまりに派手にやるものだから、オウム事件裁判の旧知の検事からは「康さん、オウムをあまり煽らないでよ」と言われたものだ。

profile

康芳夫(こう・よしお)
1937年東京生まれ。《虚業家》を自称し、1970年代〜1980年代にかけて「謎の類人猿オリバーくん」「国際ネッシー探検隊」「モハメド・アリ招聘」等々奇想天外な企画を連発した《国際暗黒プロデューサー》。
『家畜人ヤプー』の全権代理人としても知られ、現在は80代を超えて俳優業に進出。映画『渇き。』『ディアスポリス』『干支天使チアラット』等で怪優として存在感を発揮している。
・公式ツイッター=@kyojinkouyoshio
・公式サイト=http://yapou.club
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