【瓜田純士】「新宿で発砲事件発生」に思う時代の変化

チャカは不良の看板があると、所持で3年半が付く。使えば発射罪も加わる。3発撃てば6年プラス看板の分が加重され、7年だ。
一昔前なら、組の為、と言って放免をしてもらえて、懲役でも毎日手紙が届いて大事にされるけど、今の時代、そんな待遇はないに等しい筈。関西では、「ドア撃ち」は割りにあわないから、せいぜいトラックで玄関先に追突、乗り捨てるが主流となっていた。これなら若い衆も直ぐに帰ってこれる。
不良の場合、半グレや外国人と違って、チャカを使ったらしっかり出頭迄しないとならない。今はどうだか知らないが、この「出頭までする」という常識や気概に、当時「さすが、不良は厳しいな」と、感じたのを覚えているよ。
五輪が東京で開催されると決まってから、警視庁の「反社会勢力」の締め付けは尋常じゃない。ヤクザ壊滅が至る所で謳われているね。人数も昔のようにはいない筈。
そうなれば、今までの「常識」を無視して、出頭なんて誰もしなくなっちゃうんじゃないか? 割りに合わないからね。ニュースを見て、昔のような緊張感や恐怖感は、一般市民の間にもさほどなく、風化されてしまうかもしれない。
「時代遅れの事件を起こしたところですぐに警察に取り締まられる」
世間一般の大半はこう思うだろう。昔はそれでも「不良のメンツ」みたいなものに大きな幻想を抱いたりもしたんだけどね。不良の意地を舐めたらいけない、なんつって。
だけど、「世間一般の大半」の想像通り、今後もこの手の事件は、警察に取り締まられ、組織も集団も警察に制圧されて弱体化せざるを得ないのかも。年末は色々な事件が起きるけど、自分たち堅気は、流れ弾に当たらないようにクリスマスや暮れを楽しみたいと願うよ。

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