【独占】元アビス専属プッシャー ラッパー 俺はこうして半グレとなった

【独占手記】元アビス専属プッシャー 
ラッパーDATURA「俺はこうして半グレとなった」

大阪で暴れまくっていたあの頃

アビスに入ったきっかけは、18歳の時にパクられた麻薬取締法違反(コカイン使用の事件)が関係している。その当時は大きな量は動かしていなくて、割と普通の生活もしていたが、その逮捕をきっかけに「様子のおかしい大人たち」の存在に気づきはじめた。
「俺は仲間を大切にしているぜ!」的なノリの先輩ラッパーが周りの人間からコソコソ、500円、1000円のために嘘ついてたり、当時18歳の俺にひとまわり上のラッパーが〝勉強代〟という名目で十数万のカンパを求めてきたりした。
どう考えてもダサいだろ、フェイクだろ、って思っていた。そんな時に出会ったのが兄貴だった。最初は「おいコラ悪ガキ」みたいな感じだったが、それからすっごく可愛がってくれた。毎日家にも遊びに行くうち、変な話惚れちゃったんだよね。
「本物のHip-Hopはこうやぞ!」
というのを教えてれて、その中で、自分も自立心がどんどんデカくなって、こそこそ小金のためにシノギするより体張ってストリートで生きてみたい。そう思った。
そんなとき知り合いを通じてアビスに参加することとなったんだ。

アビス専属のプッシャーとなった俺だったが、グループの中では役割が自然と決まっていた。
①武闘派のケンカ担当(ケンカ好きな奴)
②スカウトとか女の管理(男前で女から金引き出せてたみたいな奴)
③金の管理とかトバシの携帯とか板とか用意できる奴。
④ドラッグ担当(おもに草、コカイン、シャブ、罰)
⑤使えない奴はパシリ(ズーっと引っかけ橋立ってるだけ)
こんな感じに個人が得意なジャンル分担されていた。俺は17からプッシャーをやっていたし、質がいいことでも知られていたため自然と④のドラッグ担当となった。アビス内では俺に言えばなんでも手に入ると評判だった。
ぼったくり店をやりながら、自分は三宮、ミナミ、梅田の3店を回りながら1日の水商売の売り上げを回収しながら、ネタのピックアップがあったら取引してた。そんな日々が多かった。アビスの奴らは全員草好きだったから、朝方に本部事務所に大量のブツをデリバリーすることもあった。店の女はどこかネジが外れた子が多かった。
ストリートで商売してたら頭のおかしい客に遭遇することも珍しくない。「おいボケ! 全然期間やないか!」と絡まれることもよくあった。こういう時の大尉処方はふたつ。追加で金を払うならネタを渡してやるが、タダにしろとか抜かす奴は問答無用で制裁を加える。アビスには絶対引くなというルールがあったからだ。だから俺も常に刃物を持ち歩いていた。ミナミには特定のリンチ場所があり、そこが血塗れになっている時は、大体アビスの仕業だった。
しかし今考えればアビスの活動はぼったくりメインで危ないことをしていたと思う。金払えない客には暴行も加えていたし、サラ金で金借りれるまで監禁したりもしてたし無茶苦茶やってた。でもやるかやられるかやし〝金が全ての世界〟。とりあえず金になることは何でもやっていた、あの頃は。

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