【追悼】内田裕也「お別れの会」
日本がロックの涙で濡れた日
取材・文=鈴木ユーリ
芸能界とロック界の重鎮が勢揃い
予報ではうららかな小春日和のはずだったのに、真冬かよって寒風がびゅうと吹きつける。4月3日、午後1時。あっちへ旅立ってもう半月経ったったってのに、まだ世間に憤ってはるんですか。
3月17日、肺炎で死去した内田裕也(享年79)のお別れの会「Rock’n Roll葬」が、青山葬儀場で行われた。
しめやかに、じゃなかった。
なにせ開会そうそう、献花台の上の巨大モニターに裕也サンが降臨し、「僕は今、あの世にいます。ロックンロールに生きてロックンロールに死んで行けたことに感謝します」と、あのしゃがれた声で宣言しだしたんだから。
おどろいたのは、「順不同」と注意書きされた芳名板(ほうめいばん。供花したメンツの名前がびっしり一覧になって札になってるやつ)にならぶ名前だった。錚々(そうそう)たるメンツすぎて、うかつに衆目にさらしたら涙そうそうになるパターンのやつ。歌舞伎の名跡が三列目、北島三郎や北野武でも二列目、とだけ漏らせばわかってもらえるだろうか。これが芸能界のガチな貫目、とでもいうのか。ビビるわ。
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そんなピリついた空気の中、氏神一番があの歌舞伎メイクで登場したことは、ちょっとした感動すらおぼえた。「マジであの格好で来たよ(笑)」と小バカにしてる報道陣もいたが、人の正装を笑うな。大晦日の『ニューイヤーズロックフェスティバル』に毎年律儀に出演しつづけた、彼なりの筋の通し方なんだよバカヤロウ。
堺正章、映画監督の崔洋一、アーティストの横尾忠則(この日はじめて公に「内田姓」を名のった本木雅弘が代読した)による名弔辞と、内田也哉子の謝辞(「ファッキン・ユウヤ・ウチダ。ドント・レスト・イン・ピース」。赤塚不二夫の時のタモリ以来のパンクな衝撃に、会場でもどよめきが上がった)にかんしては、どーせワイドショーがこぞってにぎやかしまくるだろうから割愛。
会場内のすすり泣きがピークに達したのは中盤。崔監督の次、3番目に献花台に立ったシーナ&ロケッツの鮎川誠の弔辞だった。
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