『嵐』を喰ったAV女優「怪死に新証言」

いわば彼女は、業界全体にとって、いつ爆発するか分からない時限爆弾のようなもの。他殺説が根強く囁かれるのは、それ故だ。では彼女が芸能界の〝鬼っ子〟となるまでにどんな足跡を辿ったのか。

謎の写真は死後も利用された

生い立ちを知る芸能記者によれば、彼女の家庭環境は荒みきっていて、芸能界への憧れは荒廃した生活から脱却するための唯一の術だったという。
「大阪時代は、最初は若手のお笑い芸人、その後はジャニーズの追っかけをしていた。憧れを捨てきれず、16歳でタレントを目指して単身上京しました」(前出記者)
家出同然に実家を出たAYAは、しばらくの間渋谷の街をさまよった。
そして、96年に受けたテレビ番組「ASAYAN」のオーディションに合格したことで芸能活動を本格化していく。
「L☆ISというグループのメンバーになり、CDデビューも果たした。同時に、この時期から愛人生活がはじまったようだ」(同)
クスリへの依存を深めるうち、社会との接点はどんどん薄れ始めた。
仕事は激変。モデルの仕事にもありつけなくなりAVデビュー直前にはたばこ銭にも困るほど困窮していたという。
AV出演をはじめると、経済的な安定とは裏腹に、精神の荒廃は加速。悲劇的な終幕まで一気に滑り落ちていった。
だが悲劇は終わらない。皮肉にも彼女は死んでもなお、「道具」として利用された。
「AYAが持っていた写真が死後、レコード会社の関係者を通じて一部のマスコミに流れたんです。このレコード会社はジャニーズとは敵対関係にある所。写真を攻撃材料として使ったというわけです」(事情を知る関係者)
ある意味で、AYAは芸能界の闇に命を奪われたともいえる。しかし、彼女だけが特別な存在だったわけではない。その世界に巣くう闇人脈はあらゆる手段で女を搾取し続けている。
ある芸能事務所幹部は声を潜める。
「事務所のモデルやタレントをスポンサーの接待要員として使うこともある。
〝社交場〟が六本木や西麻布には点在している。AYAもそうした場所に出入りしていた1人だった」
そこで女たちが掴んだスキャンダルが、今回のように政治的に利用されることは珍しいことではない。
それがスターダムに駆け上がろうとするアイドルに仕組まれた大きな落とし穴なのだ。

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