【怪情報】川崎連続殺傷事件「被疑者は麻雀の天才だった」

事件後、現場を調べる捜査員

【怪情報】川崎連続殺傷事件
「被疑者は麻雀の天才だった」

口癖は「町田で2番目に強い」

5月28日、川崎市で私立カリタス小学校の児童と保護者20人が殺傷された事件。捜査が進むにつれ、岩崎隆一(51)の数奇な人生が明らかになってきた。

「幼少期の岩崎は両親の離婚後、伯父夫婦に引き取られました。当時の岩崎家は、祖父母、伯父夫婦、年上の従姉、従兄、計7人の大所帯。子供たちには格差があり、従姉兄は名門校であるカリタスに、岩崎は公立小中学校に通っていました。ちなみに、岩崎の祖父は県警の警察官でした」(捜査関係者)

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小学校では同級生との喧嘩が多かったとされる。

「中学校では目立たない生徒でしたが、3年の頃に校内で自殺未遂騒動を起こしたそうです。校舎3階の渡り廊下で柵を乗り越え『俺は死んでやる!』と絶叫。生徒約30名が野次馬になる中、先生たちの説得で柵を降りたというのです。生徒はみんなドン引きだったそう」(地元住民)

中学卒業後は横浜市内にある職業訓練校の機械科に2年間通い、麻雀に傾倒したとされる。

「学校帰り、麻雀が得意と豪語する岩崎と卓を囲んだことがあります。岩崎を負かそうとしてイカサマを仕込んだら、気付いていただろうに笑顔で『すごいね』と笑っていました」(職業訓練校の同級生)

職業訓練校卒業後は17歳で機械系の会社へ就職。その頃からJR町田駅近くの雀荘「J」に出入りするようになったという。1年後には遂にメンバー(従業員)として働き始めた。

「10代にして天才的な強さだったといいます。メンバーは自分の持ち金での現金打ちがルールで、負けが続くとアウト(店への借金)を作るというシステムでしたが、彼はしなかったそう。財布を見せると舐められる雀荘で、7、8万をポケットに入れて、それだけで賄っていたといいます」(前出・週刊誌記者)

岩崎は当時、「町田で2番目に麻雀が強い」と豪語し、強気で攻める麻雀を打っていたという。そんな岩崎の胸中に宿っていたのは、強烈な学歴コンプレックスだった。雀荘では強気だったが、家では従兄といがみ合う毎日だったようだ。15年以上にわたり引きこもり生活を続ける中で狂気を育んだ岩崎は、新時代の幕開けと共に、みずからの心を暴発させたのだった。(狩野玖太)

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