「私がみた犯罪現場のすべて」Part2

すし詰め状態の埃っぽい留置所へ

パタヤでの逮捕当日の話に戻ります。
箱に入ってくる警察の数が増える中、隠れて上の人間に連絡をした所「今から警察の上と話す」、「警察の上層部と通じている現地の人を向かわせる」との事だったので、私たちは「大丈夫だろう」と楽観視していました。
警察は30人近くになりましたが、言葉も通じず何がどうなるのか分からないまま10時間近く経った頃、急に整列させられたのでどうしたのかと思っていると、最前列にいた私は入口から大勢のマイクやカメラを持った人たちが押し寄せて来るのが見えました。現地のメディアと思い見ていると、マイクに「テレビ朝日」と書いてあるのが見え、その瞬間「あ、終わったな」と感じました。
絶望している私たちをカメラは撮り続け、記者が興奮した様子でリポートしている間は、まさに生き地獄でした。
途中、警察の上層部と通じているというタイ人女性が現場に入ってきて、「出られるから大丈夫」と言われたので「助かった」と思ったのですが、結局そのまま5人ずつ繋がった手錠をかけられ近くの警察署へ連行されました。留置所はコンクリートむき出しでホコリっぽく、2部屋に分けられてもパンパンですし詰め状態。そこで一晩明かし、翌日トラックの荷台に乗せられどこへ向かうのか分からないまま移動。その間にスマホで「タイ 詐欺」で検索すると私達のニュースがズラリと並んでいます。再び絶望していると、別の警察署に着き留置所へ入れられました。前回同様狭く汚く、ミャンマー人の青年と15人一緒に入れられて一晩を過ごしました。
翌日再び移動となり、入国管理局の留置所へ。ここで約2ヶ月ほど様々な国籍の150人位の人間と同じ部屋で過ごした後、日本の警察へ引き渡され、逮捕、強制送還となりました。

途中何度か前出のタイ人女性が来てくれて、箱長が面会し「警察の上と話してて数千万で話がつきそう」、「最悪強制送還になっても証拠品の電話機等を新品と差し替えるから起訴されない」と言っていたそうですが、最終的に連絡は取れなくなり、証拠品もそのままで強制送還され、現在に至ります。
タイではどこの留置所も暑い狭い汚いの三重苦でした。自分のした事なので仕方無いのですが、改めて日本の有り難みを感じさせられました。

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