復活したカルト集団か、それとも
独自の掟
情報化社会の現代から逆行するように、日本各地で今「自治の村」が増えている。
2000年以降、山中にまるで繁殖するように現れたその村は、世間のルールとは全く違った独自の掟をつくり、そこには多くのドロップアウターが集まって自給自足の生活を送る。
地図にも載らず情報が表にでないために、村で何が行なわれているのかわからないことが多く、六〇〜七〇年代に掛けて一世を風靡したヒッピーブームの頃には、ドラッグの蔓延や反社会勢力のアジトとなっていたことなどが大きな社会問題となり、ブームの衰退と共にその実態は忘れ去られたが、不安な時代を迎えそれが復活したというのである。
その「自治の村」ーーその中のひとつだがーーについて、奇妙な噂を聞いた。
自治の村に参加したことのある知人によれば、その噂とは、音楽好きなら誰でも知っている西日本では有名な自治の村「B村」で、謀反した何人もが、同じ村人たちの手によって殺され、山中に埋められ、行方不明になっているという噂である。
B村は大規模なレイヴパーティー(*1)やカルチャーイベント(*2)を定期的に行なっており、他の自治の村とは違いインターネット上で村やイベントの紹介をし、また村作りの協力者やカンパの募集などを行なっていた。
だが、調べる限り、黒い影はまったく見えなかった。
桃源郷にて
一時間に数本しかないバスを何度か乗り継ぎ、胸焼けするほどの緑の匂いをぐっと吸い込みながら、村人が作ったであろう道標に沿って道無き道を突き進んでいくと、大きな杉の木が群生する山中に目的のB村は突然現われた。
入り口を入ってすぐにだだっ広い運動場のようなスペースがあり、大きな丸太小屋が遠くに一軒見えた。その奥の方に畑らしいものがあったが、村というよりは大きな国立公園のような雰囲気だ。
運動場では放し飼いにされた犬たちが楽しそうに走り回り、運動場の隅っこにいくつも設置された手作りベンチには豚汁のようなモノを食べている子どもたちが数人いて、親らしき大人たちは幾つかのグループに別れて談笑しながらそれぞれにくつろいでいた。
丸太小屋に行き、スタッフらしき男性に村作りの協力に来たと伝えると奥の間へ通された。事前に協力することをメールで伝えた際に、テントなど幾つか持ってくるように言われており、彼はそれらを確認しながら村についていろいろと教えてくれた。だが、村の歴史については何も知らなかった。
入り口付近はイベント行う場所らしく人がたくさん集まっていたが、そこから30分ほど歩いて進んだ奥にある20ほどのテントが張られた自治生活スペースには人影が少なく、山道に様々な
作物の畑があるだけだった。村人はさらにそこから歩いたところに自分の小屋を持っているという。
テントは協力者のものらしい。
その日から、日中は木を切ったり、畑仕事を手伝ったり、小屋を作ったりと作業をし、夜になれば多くの協力者や村人と鍋を囲み、酒を飲みながら年配者の話を聞いた。
年配者は平和、環境破壊の問題、自然との共生などの話をした。広大な森のなかで声に耳を傾けていると、面倒な現実社会を忘れさせ、荒んだ心を洗い流すように、とても心地よかった。
気だるい煙に包まれたようなこの村で暮らす人々の顔にも、恐ろしい村の掟など、微塵も見えなかった。
噂は間違いだーー。
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