“AVの帝王” 村西とおるの「閻魔帳」人生は喜ばせごっこでございます。 Vol.1

AV界の帝王”駅弁の生みの親” 村西とおるの「閻魔帳」「人生は喜ばせごっこ」でございます。Vol.1

“AVの帝王” 村西とおるの「閻魔帳」人生は喜ばせごっこでございます。 Vol.1

Profile:村西とおる
1948年9月9日生まれ
福島県出身。高校卒業後、上京後バーテン、英会話セットのセールスマン、
テレビゲームリース業を経て「裏本の帝王」となるが全国指名手配となり逮捕される。

その後AV監督となって今日に至る。

前科七犯(うち米国で一犯)
これまでに3000本のAVを制作し、7000人の膝と膝の間の奥を視認してきた。顔面シャワー、駅弁の生みの親。
「昭和最後のエロ事師」を自認し「AVの帝王」と呼ばれている

AV監督・村西とおる~波乱万丈の人生を生き続ける男が紡ぐ物語
Vol.1 まえがき

戦前、父親は国鉄に勤めていました。
機関士をしていました。

戦後、兵隊から復員してきた父親は国鉄には戻りませんでした。
傘直しの行商人になりました。

自転車の荷台に傘直しの道具と売り物の傘を十本積んで
常磐炭鉱の炭住めぐりをしました。

今日ではそんな仕事の職人の姿を見かけることはありませんが、
戦後苦しかったあの頃は皆、傘が壊れると修理をして使っていました。

国鉄職員という安定していた立場を捨てて
どうして父親は「行商人」の道を選んだのでしょうか。
三十四年前に父親は死にました。
今となっては謎でございます。

父親は五人兄弟の長男でした。
三人の弟が戦争で死にました。
自身の南方での戦場体験と三人の弟の死、という深い悲しい経験が
父親に勤め人の道を捨てさせたのだ、と想像しています。

雨が降ると行商に行けなくなった父親は
一日中家でゴロゴロしていました。
晴れの日が続くとまた父は一日中家に閉じこもって休んでいました。

考えてみれば「雨が降っては駄目」「晴れては駄目」の傘直しの行商の商売ほど
この世でニッチもサッチもいかない仕事はないのでした。
なんでこんな絶望的な仕事をしているのだろう、と子供心に父親がとても気の毒に思えました。
が、当の父親は、我関せずの風でした。
そして信じられないのですが「傘直し」という自分の仕事にプライドを持っているのでした。

酒を飲むときまって
「いいか、今に見てろよ」
と家族を前にして大口を叩きました。
「どこをどうやったら”今に見てろ”になるのよ、いい加減にしなよ」
と傍の母親が喰ってかかります。

雨や晴れの日が続いて三度のメシどころか
三人の子供にジャガイモさえ食べさせるのもままならないのに、
甲斐性無しの亭主のホロ酔い気分の大口叩きに
母親はいたたまれない気持ちだったのでしょう。

母親が疲れ切って深くタメ息をつく姿を
今でもハッキリ覚えています。
「父ちゃんなんか大嫌いだ」
二人の姉にとって父親は、軽蔑の対象以外のなにものでもありませんでした。
が、私は違いました。
父ちゃんは誰にも内緒の大金持ちになる方法を知っている、
そしてその方法できっと成功するに違いない、と
目を輝かせて父親の顔を見ていました。

酔うときまって「いいか、今に見てろよ」
と自信タップリの父親の表情がとても男らしく見えて
大好きでした…

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