覆面お笑い評論家・不治多ニゴルの「毒毒芸人1000本斬り」その1・ダウンタウンの『水曜日のダウンタウン』Part2
これからもコンプラ無視するしかない?
ダウンタウンの松本人志といえば、自他共に認める天才芸人である。
しかし、最近の彼の活動をみれば、驚くほどツッコミの仕事ばかりであることに気付く。
浜田の老化による適時のツッコミ仕事は除いても、芸能人イジりの『ダウンタウンDX』、コミッショナー仕事といえる『IPPON グランプリ』『人志松本のすべらない話』、コメンテーターとしての『ワイドなショー』『クレイジージャーニー』と、どこを探してもボケさせてもらえていない状態だ。
放送開始以来、松本が企画にクレジットされ続ける『ガキの使いやあらへんで!』は松本が自由に奇想天外なボケを放ち続けてきた、ダウンタウンの最長寿冠番組であるが、その現状が中途半端なバーター企画や街ブラ目白押しという“死に体”なことをみても明らかなように、現在の松本人志に「主体的なボケ=ボケ企画の立案」を求めても無駄なのである。
お笑い芸人とはつくづく因果な商売だと思うのだが、売れた瞬間、富と名声を得た瞬間にほぼ全てのボケが通用しなくなることは事実であり、支配者がボケ続けて起きる笑いはもはや以前のそれとは質が違う《裸の王様状態》なのだ。
いくら松本がマッチョ化しツッコミじろを作ったところで、巨万の富を得た松本が、その真価を世間に問われる日はもう二度とこない。
20代にして全てを手に入れたダウンタウンは、既に、20年以上も引退興行を続けているようなものなのだ。
その意味で、ほぼ30年にわたりお茶の間の顔であり続けるダウンタウンの使用法としては、この『水曜日のダウンタウン』(TBS/以下『水ダウ』)のように《幸運の置物》として使用することがひとつの正しいやり方だ。
制作者がやりたいマイナー表現、この場合は《悪意たっぷりのドギツい笑い》のために、いまや常識人となったダウンタウンの顔を借りて視聴率を稼ぎ、さらには、コンプライアンス違反とされるような表現も彼らの知名度でゾーンを広くできる。
なにしろ、よしもとのトップである。ある程度の揉み消しも、可能である。
ただ、その手法が可能なのも、松本人志が恐ろしくツッコミが上手いところに拠る。
つまりダウンタウンは二人して、《鬼のようにツッコミが上手い》のだ。
ロケの達人として知られる千鳥をスタジオに置き、ロケ素人のロケを突っ込ませまくる千鳥の『相席食堂』(朝日放送)が新たな地平を開いたように、『水ダウ』の味方すら騙すことも辞さないCIAの如き演出はダウンタウンの新たな能力を引き出している。
かつての『WORLD DOWNTOWN』(フジテレビ)もイイ線いってたが、『水ダウ』ほど悪質ではないだろう。
『水ダウ』のやっていることは、捜査官を前にしたダウンタウンの二人の目の前に覚醒剤を放り投げ、その言い訳をさせていることとほぼ同じ行為なのである。
ではなぜダウンタウンがそんな《ヨゴレ仕事》を甘んじて受けているのか。
そんな緊張感がある笑いの現場など、現在の彼らの周りには他に存在しないからだ。《おもしろい限り》は、『水ダウ』がどんな不祥事を巻き起こしても彼らは付き合い続けるだろう。
7月25日放送回では、急遽タバコの吸い殻を拾う一見偽善的な企画で反省を見せたような番組スタッフに、松本が「露骨すぎるねん」と釘を刺した。
すべった瞬間にダウンタウンから切られるということもわかっている制作陣だけに、これからもコンプライアンスの向こうへ突っ走るしか道はない。
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