【瓜田速報】歌舞伎町ヤクザ“スカウト狩り”「現場」はなぜSNSで広まったのか
瓜田純士
うりた・じゅんし。1979年、新宿歌舞伎町に生まれる。少年期を不良として過ごし、10代を暴力団に捧げて、獄中に。懲役で物書きに目覚める。著書に『ドブネズミのバラード』等多数。『遺書~関東連合崩壊の真実とある兄弟の絆~』がベストセラーとなる。地下格闘技やTHE OUTSIDERにはアウトローのカリスマとして参戦していた。現在、瓜田夫婦のyoutubeが話題沸騰。ミュージックビデオ待望の4弾!「WHO IS JOKER」https://www.youtube.com/watch?v=VqJJ7G3ACIk
パリジェンヌ銃殺事件後みたいにやばい感じだ
緊急事態宣言が解除された。
じっとりとした湿気に包まれた新宿は、ヤクザの「スカウト狩り」によって怒号と悲鳴に包まれていた。
この令和にて、数十人編成のヤクザが街を練り歩き、至る所でターゲットのスカウトを見つけては囲んで恫喝を繰り返す。ターゲットになったスカウト会社の名を出しながら、「お前らは○○か? ○○の奴等か?」と問い詰め、関係者と分かればフルボッコにしていたと言う。
恐ろしいね。久しぶりだよ、この”ヤバい感じ”。
ヤクザととあるスカウト会社の間で起きたトラブルだが、発端となったと言われているヤクザ組織を良く知っているという理由から、詳細は割愛させて頂きたい。一度はその世界に居た者として、要らぬことは言ったり書いたり出来ないからね。
今では少し落ち着いたようだけど、数日の間は本当に緊張感があった。
90年代に起きた歌舞伎町のパリジェンヌ事件を思い出したよ。
当時東北系の中国マフィアが台頭していて、シノギでこじれた住吉会系の組員と東北マフィアが喫茶店『パリジェンヌ』で話し合い、その最中、中国人側が店内で拳銃をぶっ放し、ヤクザは死んでしまった。この事件直後、歌舞伎町中のヤクザに連絡が行き渡り、発砲直後に逃走した中国人を捕えろと、毎晩街に繰り出しては巡回して「中国人狩り」をした。その時のことを思い出したよ。
俺が居た組もよく一緒に巡回をした。だけどその頃はインターネットは普及していたけど、SNSなんてないから、誰かがTwitterで「危険! 新宿に来ないで」「ヤクザのスカウト狩りヤバい!」なんて拡散されることもないので、広まり方と言えば、街で遭遇するか、中国人を囲むヤクザの集団を見た者が人に話すかしかなかったのだが、それはそれで結構な話題にはなっていた。その頃にTwitterなんてあれば、地回りしてるところを撮ってわざと上げていたかもしれない。
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