茨城県に支部設立の動きも
その果てにやっていたのが「日本の若者の洗脳教育」で、瞑想活動を通じて知り合った日本人を説き伏せ、その息子、娘を留学という形で引き受けて「反日活動家」に育てるという宗教団体さながらの目論見があり、Kさんがまさにその被害者だった。
「3年間にいた日本人は私のほかにもいましたが、だいたい1カ月も経たずに逃げ出したり、いなくなってました。ずっといたのは私と男女2人の3名。ほかは韓国人とフィリピンやベトナムから来た人がいて、だいたい6人か7人ぐらいが3部屋ある寮に住んでました。J氏の仲間の男女が2、3人いつも監視してました。軟禁される以外、イヤなことは少ないんですが、逃げようとして叩かれたことがあります。昼間はJが直接、ホワイドボードを前に講義をしていたんですが、Jは日本語がカタコトしか話せないので指導力はないんです。こっちは分かったフリをするだけ。彼の自己満足ですね」
軟禁状態から脱けられたのは昨年、祖母の葬儀に一時帰国を許されたときだった。成田空港から葬儀には向かわず逃走して別の親族に保護を求めたというが、渡韓させた両親はいまだにJの信者。それどころか住んでいる茨城県で支部を設立したのだという。
「私が親戚のところへ行ったのを知っても、探しに来てもいないので一度も会ってないです。電話で話したら母親に『裏切り者にはガッカリ。こんな出来の悪い娘はもういらない』と言われたんです」
彼女と同時期に軟禁されていた女性も現在は脱出。こちらはLINEでコンタクトを取れた。「キャプチャ画像をそのまま伝えてください」といわれた会話の中身は、ほぼKさんと同じだった。
「19歳のときに無理矢理韓国に連れていかれました」
「警察にも言いましたが、そういうのは介入できないって言われて、20になるまでなんとか耐えてくれって言われました」
Kさんの話では、この反日カルト集団は滋賀県と沖縄県で飲食店を隠れ蓑に日本支部を形成しようとしていたが、その2つのグループが対立してしまいJ氏のコントロールが効かなくなったため、Kさんの両親が作る茨城県を拠点にしたがっているのだという。
若い日本人女性が軟禁被害に遭った反日集団の所業を放置していてよいのか。Kさんは現在、必死に社会復帰をしており、「落ち着いたら出来事を全部書き残したい」と言っている。(片岡亮/NEWSIDER)
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