“熱投”や“力投”と表現すれば聞こえはいいが…
エース一人への依存はダメ、ゼッタイ
夏の風物詩であり、世間を大いに沸かせてくれる全国高等学校野球選手権。
会場の阪神甲子園球場では松井秀喜(星稜)の5打席連続敬遠や、斎藤佑樹(早稲田実業)VS田中将大(駒大苫小牧)の決勝再試合などなど、いくつものドラマが生まれてきた。
しかし華々しい舞台ゆえに無理をしてしまい、その後の未来に影を落とすことになった高校球児も、残念ながらゼロではない。
例えば2013年の第95回大会の2回戦では、木更津総合の千葉貴央投手が登場。彼は1回戦で完投勝利を収めていたが、実は肩を痛めており、この試合では先頭打者にスローカーブ6球しか投げられずに降板してしまう。その痛々しい姿は、多くの人々の目に焼きついた。
千葉は大学野球に進み、誠実な人柄が評価されキャプテンを務めるも、公式戦では一度たりとも登板できていないとのこと。
高校時代の故障は、それほどまでに尾を引いてしまったようである。
1991年の第73回大会で準優勝した沖縄水産のエース・大野倫も、甲子園によって野球人生が変わってしまった一人。
右ヒジに爆弾を抱えながらも、痛み止めの注射やマッサージでごまかし、決勝戦まで6試合・773球を完投した。
その代償はあまりにも大きく、大会後、大野の右ヒジは剥離骨折していたことが明らかに。
大学に進学後はバッターとしての才能を開花させてプロ入りし、巨人とダイエー(現ソフトバンク)でプレーしたが、あの夏以来、右ヒジはずっと曲がったままだというから笑えない。
また、毎年春に開催されるセンバツ甲子園でも悲劇は起きている。
2013年の第85回大会の決勝戦では、現在はプロ野球の楽天に進んでいる安樂智大が、済美のエースとしてマウンドに立った。
ところが安樂は、6回で9失点と打ち込まれ、敗北を喫してしまう。この大会での投球数は5試合で772球と、やはり満身創痍だったのだ。
当時は150km/hを超える剛速球が持ち味だったにも関わらず、プロ入り後は140km/h台に落ち着いてしまっているあたり、甲子園での連投が及ぼす影響には計り知れないものがあるだろう。
なお、今年の甲子園では試合の早期決着のため、延長13回以降はノーアウト一、二塁の状況から攻撃を始めるという、タイブレーク制が導入された。
あとは監督による無茶な選手起用さえなくなれば…というところだが、甲子園のような短期決戦では、どうしても主力を酷使せざるを得ないのも事実。
夏の甲子園は今年で第100回という大台に乗ったが、まだまだ課題は尽きない?
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