元幹部がついに沈黙破った国松長官狙撃事件「真犯人オウム説」を追跡
事件後に消えた4人の信者がいた
オウム真理教による地下鉄サリン事件発生から10日後の1995年3月30日。自宅マンションを出た国松孝次警察庁長官を4発の銃弾が襲った。3発が腹部に命中し、国松長官は瀕死の重傷を負った。発砲した男はその場から自転車で逃走した。
この8日前からオウム真理教に対して警察の強制捜査が入っており、事件発生から1時間後にテレビ局に、国松長官に続くターゲットを名指しし教団関連施設への強制捜査をやめるよう求める電話がかかってきたことから、真っ先にオウムによる犯行が疑われた。
同年のうちに教団幹部が逮捕されるが決め手を欠き不起訴に。また当時警視庁の巡査長だった信者が犯行の具体的な状況を供述し、拳銃を神田川に捨てたとした。しかし警察による「ドブさらい」でも拳銃は発見されず、立件は見送られた。
最近では「オウム真犯人説」はほとんど語られることがなくなっていたが、7月6日のオウム死刑囚連続執行後、なぜか捜査関係者の間で再びこの疑惑が浮上した。
話を聞いた元オウム幹部はこう語る。
「かつて麻原が幹部らに“警視総監の首根っこ捕まえて振り回して来いと言ってきたらやるか?”などと語っていたというエピソードがある。確かにこれは事実。しかしこれは麻原がグルの無茶な指示でも従えるかと問うためにたとえ話をしただけ」
だが逮捕された元信者が事件現場を下見したことは事実だ。しかも自ら犯行を自供している。
さらに不可解なのは、釈放された後のこの信者の足取りだったーー。
詳細は7月30日発売「実話ナックルズ9月号」にて掲載
Leave a Reply