【瓜田速報】山口組ナンバー2出所で思いだす府中刑務所と裏社会のドン
瓜田純士
うりた・じゅんし。1979年、新宿歌舞伎町に生まれる。少年期を不良として過ごし、10代を暴力団に捧げて、獄中に。懲役で物書きに目覚める。著書に『ドブネズミのバラード』等多数。『遺書~関東連合崩壊の真実とある兄弟の絆~』がベストセラーとなる。地下格闘技やTHE OUTSIDERにはアウトローのカリスマとして参戦していた。現在、瓜田夫婦のyoutubeが話題沸騰。瓜田夫婦 第二弾「Allba della Sicilia~シチリアの夜明け~」
塀の中でもスーパースターだった
六代目山口組の高山清司若頭が明日(これを書いてるのは10月の17日)、東京・府中刑務所を出所するようだ。
この人物が帰ってきたらどうなる、とか、山口組の今後の行方は、みたいなことは正直全くわからないし、むしろ渡世の事は書くつもりはない。
ただたまたま俺が務めたのも府中刑務所で、偶然にもその時期に司忍六代目が府中に収監されていたので、当時の府中刑務所の中を思い出してみたい。
「年齢移送」
04年頃から務めていた長野県にある松本少年刑務所で二年ほど過ごしたある日の夜、金線(工場主任や処遇部長、統括などのお偉いさんは制服に金の刺繍が入っていることから刑務所では金線と呼ばれている)が部屋まで来て、そう告げられた。
26歳までの松本少刑では27歳になる誕生日前に成人刑務所へ移送される。指定されたのが府中刑務所だった。
荷物をまとめて東京の府中にわくわくしながらやってきたことを覚えている。
到着後、分類と言って、工場が決まるまでだいたい2週間は独居に干される。ちょうど暮れでクリスマスと正月が重なったが、テレビも見られずにラジオだけで過ごした。分類の看守にずっと聞きたかった事を聞いてみた。
「山口組の“ドン”がここにいるんですか?」
看守は少し誇らしげに言った
「いるよ。近くで見たよ、一度だけど」
06年の2月頃に大坂拘置所から府中刑務所に移送されていた日本最大暴力団の“ドン”はまるで“ガイタレ”のような扱いで、目撃しただけで自慢になっていた。
噂では懲役に食い物を運ぶ配膳係も、「司六代目には看守が付き添い毒見までする」とか「運動会は出られないから、廊下で軽い運動をしながらコーラを飲んでいた」とか、様々な噂が刑務所に轟いていたよ。どっかのバカが懲役で暇だからと食器に洗剤でもいれたり、対立組織の若い衆が配膳に潜り込んで毒でも盛ったりと、そういう可能性はなくはないからね。
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