【偉人伝】“日本の常識”は裕也サンがつくった
本当は超重鎮
笑いの混じった誰かの声が聞こえてくる。「え? 内田裕也ってヒット曲もないのにロック界のドンみたいな顔してイバってる人でしょ?」。
否、だんじて否! 裕也サンは世間が思ってるより全然スゴい偉人である。
ヒット曲がないのは是。オリジナル曲にこだわらずに「世界に通じる日本のロック」を求める裕也サンはフジロックに先駆けること30年前から野外ロックフェスを開催し、「あの時代にフランク・ザッパを生で見れたのは大きかった」(山下達郎)と日本に本場のロックを根付かせるとともに、「日本人をナメんな!」とルー・リードを脅し、レイ・チャールズ(盲目)をぶん殴るなど素行不良面でもインターナショナルなロッカーに並ぶという金字塔を打ち立てた。
裕也サンの功績はロック界だけにとどまらない。ひとたび映画の世界に飛び込めば数々の異色作を企画&主演。83年の『コミック雑誌なんかいらない!』は映画会社に蹴られまくった挙句、自主制作なのにカンヌ映画祭に招待されニューヨークタイムスでも絶賛されるなど、世界で評価を受ける日本インディーズ映画の先駆けとなる。
プロデュース業もヤバい。
大阪で沢田研二ひきいるタイガースをスカウトしたことは有名だが、『コミック雑誌』でピンク映画から抜擢した滝田洋二郎監督は、のちに娘婿の本木雅弘とタッグを組み『おくりびと』でアカデミー外国映画賞を受賞。また裕也サンが映画界に引っ張りこんでなかったら「世界のキタノ」も存在しなかったかもしれない。
毎年正月にはハワイで芸能界のドン・バーニング周防会長や演歌のドン・故長良会長たちとゴルフをするなど同格で、プロデュース業だけやっていれば芸能界の超重鎮なのに「ロックで金を稼ぐのはスピリットに反する」とロックに筋を通しすぎるあまり月給30万円の万年貧乏生活を送る裕也サン。
しかも自分がスターにした相手に嫉妬するという悪癖があり、対抗して数々の事件を起こすために(文化的な功績を考えれば)紫綬褒章くらいとっくにもらえてたにもかかわらず各界から煙たがられていた、そんな「ロックンロールBAKA」な男なのである。(鈴木ユーリ)
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