【元農水事務次官息子殺害】
上級国民はこうして「害虫」を駆除した
「刺さなければ自分が殺される」
「上級国民」が起こした事件が波乱を呼んでいる。
東京都練馬区の住宅で、熊澤英一郎さん(44)が父親で元農水省事務次官の熊澤英昭容疑者(76)に殺害されたのは6月1日午後のことだった。英昭容疑者は「10数年の引きこもり生活の末に私立小の児童ら20人を殺傷した川崎の事件が脳裏をよぎり、周囲に迷惑がかかると思った。怒りの矛先が子供に向いてはいけない」と供述している。
英昭容疑者は、華麗なる経歴を誇る元エリート官僚だった。
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「1943年に生まれた歯科医を営む父親と専業主婦の母親との間に、5人兄弟の長男として生まれました。67年に東大法学部を卒業し、旧農水省に入った。その後、30歳で織機工場を営む大資産家の令嬢と結婚。75年には長男・英一郎さんが誕生しました」(事件記者)
幼い頃の英一郎さんは、東大出身の父の背中を追い、勉強熱心だったという。東大合格者を多数輩出する名門、駒場東邦中に合格したのは、87年のこと。だが、いじめで心身を病み、その頃から母親に暴力を振るいはじめたという。
当時、 英昭容疑者には家庭を省みる時間がなかったようだ。
「(英昭容疑者は)01年に事務方トップの事務次官に就任。在任中に牛海綿状脳症(BSE)問題の責任を問われ、02年に退官しています。その頃、英一郎さんは18歳。当時から『息子さんが引きこもっている』と省内で話題になっていましたね。『聞いちゃダメ』と腫れ物に触る雰囲気でしたし」(農水省関係者)
その後、英一郎さんはゲーム関係の専門学校に進学。紆余曲折を経て、流通経済大学大学院を修了。だが定職には就かず、オンラインゲーム漬けの生活を送るようになっていった。その経済基盤となっていたのが、英一郎さんの母親の存在だった。
「母には両親から受け継いだ莫大な財産があり、都内の一等地に4箇所も一軒家と広大な駐車場を所有。それぞれを貸し出すことで月80万円以上の不労所得があったんです。実際、今年5月末まで英一郎さんはそのうちの一つの一軒家で悠々自適な生活を送っていたそうです」(社会部記者)
そんな英一郎さんに自立を促し目をかけていたのが、英昭容疑者だった。コミックマーケットに参加して親子で作品を売ることもあったという。
「Twitterでは父親を『凄い人でしょ?w 国家レベルの人なんですw』と自慢する一方、母親のことを愚母と呼び、『殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺すな』と強烈に批判していました」(前同)
英昭容疑者が“決断”したのは、事件6日前の出来事がきっかけだったとされる。
「近隣の小学校の運動会練習に英一郎さんが激昂したのです。その際、英昭容疑者は『もう殺すしかない』と走り書きを残し、妻に『今度暴力を受けたときは(息子に)危害を加える』と宣言。『刺さなければ、自分が殺されていた』とも供述しています」(捜査関係者)
まさに行き着くところまで行ってしまったのだ。(狩野玖太)
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